ルル紀行

北海道旅行中に亜麻と出会い、宮城産の亜麻で手紡ぎと織りに挑戦中ー 愛犬ルルとの旅や暮らし、東北のディープな魅力も紹介します

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奥の細道「象潟」と「松島」

松尾芭蕉「奥の細道」最北の地、象潟。
芭蕉が訪れたのは1689年、東の「松島」に比して西の「象潟」と並び称されていました。
当時の象潟は、紀元前の鳥海山の噴火による土砂に堰き止められて出来た潟湖に、小島が浮かんでいて「九十九島」とも言われ、舟で行き来していたのだそうです。


郷土資料館で特別展「おくのほそ道 松島と象潟」が開催されていて、当時の景観が描かれた屏風や掛け軸を観ることが出来ました。

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その後象潟は1804年の大地震(M7.1)で2m隆起し、陸地になってしまいました。 
現在も「九十九島」のおもかげを残すいくつもの小山が田んぼの稲穂の波間に点在して、「陸の松島」と呼ばれています。 


芭蕉も訪れたという蚶満(かんまん)寺に行きました。

そこに当時の舟着き場の跡と舟つなぎ石が残っていました。

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西行法師もここで歌を詠んでいます。
「きさかたの桜は波にうづもれて花の上漕ぐ海士もつり舟」

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芭蕉の句「象潟や雨に西施がねぶの花」
芭蕉さんの気持ちはわかりませんが、松島と比べて日本海のこの地はもの悲しく映り、憂いに沈む中国四大美人のひとり西施(せいし)さんに重ね合わせて詠んだと言われています。

蚶満寺になぜか芭蕉の木が!
和製バナナと呼ばれていても食べられないそうですが、実を2個付けていました。
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芭蕉とは別に象潟と松島は夫婦(めおと)町と言われる縁があります。

今から700年も前のこと。
象潟で生まれた紅蓮は、親同士が決めた縁談で松島へ嫁ぎます。
しかし、夫となる人は直前に亡くなっていました。
象潟に戻って新たな幸せを求めるよう勧められますが、紅蓮はとどまり、一度も会ったことのない亡き夫の供養とその両親への孝養に尽くしました。
晩年は尼となり、生活の糧に米の粉で煎餅を焼いていたことから、今でも松島名菓「こうれんせんべい」として残っています。
 
紅蓮の碑も蚶満寺にありました。
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夫婦町である象潟(現・にかほ市)と松島町は災害協定も結んでおり、先の震災でのいち早い救援と、その後の復興支援も続けているということです。


これで「象潟」探訪はおしまい。


蚶満寺境内にて、ルル。
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