ルル紀行

北海道旅行中に亜麻と出会い、宮城産の亜麻で手紡ぎと織りに挑戦中ー 愛犬ルルとの旅や暮らし、東北のディープな魅力も紹介します

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北海道「伊達市」vol.1 仙台藩の侍たちの「北の零年」

伊達市は、函館と札幌の中間くらいに位置しており、道央道のICから降りました
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“伊達” という地名が表すように、ここは、仙台藩の武士団が開拓した所なのです

開拓記念館や道の駅が集まっている一角、政宗公の三日月の兜がお出迎えです
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ルッちゃんも記念撮影 (ハイポーズ・・・?)
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ここは厳密には、仙台藩一門の 亘理伊達家 が入植した所です

仙台藩62万石は、開祖が伊達政宗
亘理 わたり 伊達家は、政宗のいとこ 伊達成実 なりざね
2万4千石で、宮城県南部の亘理町に拝領、築城しました

時が移り幕末、仙台藩は戊辰戦争で敗れ、62万石から28万石に減封になりました
亘理伊達家は、2万4千石から、わずか54石に

その時、当主は第15代 伊達邦成 くにしげ 28歳
家臣たちを路頭に迷わせるわけにはいけません
苦渋の末、北海道への移住を決断しました

映画「北の零年」では、藩主は北海道へ赴きませんでした
しかし 邦成は、お姫様育ちの母君と奥方を連れて、自ら海を渡ったのです
家臣たちも家族と共に移住し、その数は2700名にものぼったそうです


「開拓記念館」 を訪れました
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当時の開拓の様子を描いた絵や農機具などのほか
伊達家が持ち込んだ、武具や調度品が展示されていました
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亘理伊達家の家中は、殿を中心に統率がとれていたそうです

先住民のアイヌ人とは、殿自らがおふれを出し、礼を尽くしたので
北海道の厳しい生活の知恵を教えてもらったそうです
藩校を開き、子弟の教育に当たり
資金を出し合って相互扶助の組合も創設し
働けなくなった人には見舞金を出しました

西洋から最新式の農機具(馬に引かせる耕運機)を導入して効率を図ったり
稲作に適さない土地で “てんさい”の栽培も始めました

他の開拓団が頓挫する中、明治政府の政策に翻弄されながらも
亘理伊達家は成果を上げたのです


伊達邦成は、伊藤博文、福沢諭吉らと共に 「明治12傑」 の一人に選ばれ
明治天皇直々に顕彰を受け、男爵の位をいただきました


この時、家臣たちは大いに喜んで、殿のために建てたのが 「迎賓館」です

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その後、この地は 伊達邦成 の名前をとって、“伊達” と名付けられました



タイムリーなことに、去る10月11日
亘理伊達家20代目 伊達元成 もとしげ さんが来仙し、東北大学で講演をしました
(元成さんは、現在「伊達市噴火湾文化研究所」の学芸員をなさっています)

演題は 「北の大地で砂糖を作る~仙台藩士のあまい企て~」

藩士たちは、札幌農学校のクラーク博士の勧めで
寒冷地に適した“てんさい(ビート)”の栽培を始めました
当時、砂糖は貴重だったのです
製糖工場も日本で初めて造りました

しか~し
肥料が足りない、連作がきかない・・・
出来た砂糖は、糖分が少ない
製糖工場も閉鎖に追い込まれたのです

ところが~
大正時代になって、政府の肝いりで、栽培が再開したのです
今では “てんさい糖”は100%、北海道産です

仙台藩 亘理伊達家 は、北海道の農業の礎を築き
“小さなアメリカ” とまでいわれているそうです


<続・北海道紀行2> 次回につづく

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| 続・北海道紀行 | 04:54 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

歴史の勉強をさせて頂きました!
てんさいのお話など、浪漫も感じられますね。
ルル家は北海道に仙台を感じられて感慨深いものがあったのでしょうね。

毎回 丁寧に調べられてblog更新も大変かと思いますが、一緒に旅をしている気分で楽しませて頂いてます。
テラちゃんの映像とルルマガさんの写真や情報を合わせて更に深〜く北海道を満喫出来ますね!

| えりす新一 | 2015/10/16 09:18 | URL | ≫ EDIT

>えりす新一さん

私も、伊達邦成については、今年に入ってTVで見て知ったばかりなのですよ。
NHK「英雄たちの選択」で、埋もれた英雄として紹介されていました。
仙台藩の重臣だった邦成は、実は戊辰戦争に反対し、密かに和議を進めていたのでした。
先見の明を持った家老の存在も大きかったようです。
江戸に派遣されていた家老は、時代の流れを察知して、北海道へも自ら現地に出かけて調べた上で、開拓の助言をしたそうです。
誰もかれもなれるものではありませんが、リーダーになる人の器とか資格は大切だと思いました。



| ルルマガ | 2015/10/18 03:44 | URL | ≫ EDIT















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