ルル紀行

北海道旅行中に亜麻と出会い、宮城産の亜麻で手紡ぎと織りに挑戦中ー 愛犬ルルとの旅や暮らし、東北のディープな魅力も紹介します

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門司港めかりPA・兄弟車に逢ったよ!(北九州紀行33最終号)

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関門橋 この橋を渡ると下関、ここで九州とお別れです。


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めかり 和布刈 PA 船をかたどった建物の九州自動車道最後のPA。


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関門海峡 が一望でき、船が橋の下を通り過ぎて行きます。

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向こうに見えるのは、門司港でしょうか。

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レストランで昼食を取って駐車場に戻るとー
ウチの車の斜め前に、同じ車がワオー!
持ち主の方が私たちの帰りを待っていました。

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我が家の車より新しく、ソーラー付きです。
キャンピングカーには珍しく、後部座席がありますよ。

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入口は後方にあって、二階のスペースも広そうです。

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私は車のことは良くわかりませんが、カズが言うには、同じ会社の製品で
出回っている数が少ないのでかなり奇遇だそうです。
持ち主のMさんは九州在住の方でした。
もっと早く出会えば、穴場や秘湯を教えてあげられたのに・・・と。


ちなみに我がデカボ号、古いです。
車内の様子はこちら キャンピングカー内の自炊模様(北九州紀行7)

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15日間の北九州の旅、走行距離は4,113kmでした。
旅は、帰ってからも楽しい。
ブログをまとめるのにかなり時間がかかりましたが、
旅の思い出を自分なりにふくらませることができたと思います。



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| 北九州紀行 | 16:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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大宰府天満宮・犬の恩返しの話(北九州紀行32)

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ボク、ルル (女の子なんだけどなぜかボク)

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九州最終日、カズとユウと一緒に、福岡県の 大宰府天満宮 に寄りました。(初詣じゃなく、去年の春のことだけど)

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ご存じ、無実の罪で大宰府に左遷され、この地に没した菅原道真を祀っている神社。

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「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」 都を離れる道真公が詠んだ歌と、大宰府まで主を追って飛んできたという伝説の「飛梅」の木。
                   
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社紋は“梅花”、御神酒も“梅酒”、参道では“梅ヶ枝餅”、梅尽くしの天満宮です。

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境内には、芭蕉の句碑もありました。芭蕉さんも訪れていたのですね。

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ところで、ボクたち犬や猫が飼い主に恩返しをするという話は、古来からあるよね。
道真公にも、そんな逸話が残っているんだよ。

道真は左遷される時、瀬戸内海を通って福岡へ向かいました。
(中国地方の沿岸や瀬戸内海の島には、道真の船が停泊したという言い伝えが残っている所があるそうです)

道真を乗せた船は、瀬戸内海を航海中にしけに逢い迷ってしまったんだ。
その時、昔道真が飼っていたの鳴き声が聞こえてきて、声のする方へ行ってみると島があり、そこに避難して助かったということです。
そして島には、の形をした大きながあった・・・

島の名前は、その名も犬島(岡山県)
一昨年、瀬戸内芸術祭で訪れているので、こちら 瀬戸内四国アート紀行(3) も見てくださいね。
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まあ、ボク、ルルは平凡なワンコだから、そんな能力はないね。
でも、カズとユウといつも一緒で、一日に百遍も、ルル、ルーちゃん、ルコ・・・と呼ばれて、そこそこ幸せなほうだと思うよ。


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カズとユウは、御守を一つ買って、天満宮を後にしました。

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| 北九州紀行 | 09:04 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「吉野ヶ里」遺跡と道の駅(北九州紀行31)

吉野ケ里遺跡 は、想像をはるかに超える遺跡でした。

入り口から浮橋を渡ると、大規模な壕と土塁。
内側には 逆茂木 さかもぎ という柵列が設けられています。

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紀元前4世紀から紀元3世紀まで700年間続いた弥生時代の“ムラ”から“クニ”へと発展した環濠集落の遺構が復元されています。

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広い敷地に建てられている竪穴住居群、高床倉庫、物見やぐら、祭殿、墳丘墓、甕棺などを見て回りました。

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私の母方の先祖は、九州から来たと聞いています。
遠い祖先はここでこうして暮らしていたかもしれない・・・私の中のDNAの一部が感応するような錯覚にとらわれました。

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竪穴住居の中に降りてみると、当時の生活の様子が再現されています。

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糸作りや機織りの道具や材料も復元展示してありました。
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最後に見学した展示室で、弥生時代の高い技術を確認することができました。
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左は庶民の衣服でアサやカラムシなど植物の糸で織った布。

右は王や身分の高い人の衣服、絹織物です。
蚕を育て、繭から生糸をとり、草花や木の実、皮、根などで染めて織られています。

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高貴な人のスカートの薄紫色は、貴重な貝紫です。
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ルルはいっぱい連れ回されて、お昼寝も出来なかったね。
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ルーちゃん、あくびしている場合じゃないよ、後ろから・・・
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遺跡を後に、今夜の宿泊地 道の駅 吉野ケ里 へ丘を登って行きました。
この辺りは山茶花の北限の自生地であり、茶葉栽培の発祥地でもあるそうです。
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湧き水が美味しいと評判らしく、次々と汲みに来る人が絶えません。
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丘陵地にある道の駅からは、吉野ケ里の町一帯が見渡せます。
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夜景も美しく、ここが九州最後の夜となりました。
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| 北九州紀行 | 17:12 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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唐津のお寿司屋さん (北九州紀行30)

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唐津城


唐津焼で有名な中里隆さんの器を使った美味しいお寿司屋さんがあるそうです。
友人のYさんから、唐津に行ったら是非寄るようにと、勧められていました。
ところがそのお店「銀◯◯」に昼の予約を入れると、残念ながら休業日。


仕方なくガイドブックを見るとー
やはり中里さんの器を使っている、唐津を代表するというお寿司屋さんが載っていて、電話するとこちらはOK。


そのお寿司屋さんは、町中のアーケード街の一角にありました。

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中に入ると、白木の一枚板のカウンターに7席のみ。

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湯呑みと小皿が出されました。

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こちらは中里隆さんの息子さん、太亀さんの作とか。
(この湯呑み、NHK「美の壺」で紹介されていました)


唐津焼は有田焼や伊万里焼と違って、陶器、土物です。
古来から「一楽、二萩、三唐津」と称されていました。
昨今は若手作家によるモダンな作品が登場してきているようです。


親方おまかせでー

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唐津港湾産 「あおりいか(お初です)

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クロマグロの幼魚 「よこわ(こちらも初めて)

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美味しかったー いつまでも口の中に余韻が残っていました。


お店を出て、アーケード街を歩いていると、市場のような一角がありました。
所変わればで、珍しいお魚が並んでいます。
右下は先程お寿司でいただいた「あおりいか」でしょうか。

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旅先で、生ものの調理は難しいので、揚げ物を今夜のおかずに買いました。

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| 北九州紀行 | 06:34 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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「桃山天下市」「名護屋城」と伊達政宗 (北九州紀行29)

呼子の朝市を後に、ドライブをしているとー
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桃山天下市」という看板、そこは道の駅でした。
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ここに、なぜ桃山天下? この疑問は次に訪れたところで解明するのです。

また少し車を走らせると、古めかしい堂々たる石垣が続いていました。
この上には何があるのでしょう? ぐるり回りながら、入り口を探しました。

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ここは、桃山 時代に 天下を取った秀吉が、朝鮮出兵の足掛かりとした名護屋城があった所だったのです。

大手口から登っていきました。
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広い敷地に大規模な石垣、建物は残っていませんが、往時の壮大さが伺えます。
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丘の上に着くと、視界が開けてきました。
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大陸へと続く海が見渡せます。
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「太閤が 睨みし海の 霞かな」  眼下には “呼子大橋
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城からは放射状に、家康や利家らそうそうたる諸国の大名たちが陣を張っていたようです。
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伊達政宗 の陣跡もありました。 P3270095 - コピー
政宗は家臣の片倉小十郎支倉常長らを伴い、6ヶ月間秀吉の朝鮮出兵に従軍しています。
秀吉の権力と野望は、凄いものがありましたね。

んでも、おらほの殿様政宗公も負げでいねがったどー (急に東北弁)

負げでいねがった話を二題

一つ目・・・
伊達な着こなし」「伊達めがね」など、粋、お洒落の意味で使われている“伊達”という言葉の語源。
仙台から朝鮮に出陣する伊達家軍団の衣装が、派手で人目を引いたところからきているそうですよ。

二つ目・・・
あの時代に政宗公は、家臣の支倉常長をヨーロッパへ遣わしていたのです。(慶長遣欧使節)
表向きの目的は交易ですが、無敵艦隊を誇るスペイン、世界布教を進めるローマと手を組み、いずれは天下を取るという野望があったのではと推測されています。

慶長18年(1613)宣教師を伴った常長の使節団は、木造船“サン・ファン・バウテスタ号”で石巻の月の浦から出航、太平洋を航海し、メキシコに到着。
(現在“サン・ファン・バウテスタ号”は復元されて石巻の渡波港に浮かび、その周囲は公園になっています)

政宗の親書をメキシコ総督に渡した後、大陸を横断、別の船で大西洋を越えヨーロッパに上陸しました。
途中、常長は洗礼を受け、苦労を重ねて、スペイン国王に謁見を果たしました。
その後フランスを経てイタリアへ行き、ローマ教皇とも謁見しました。

7年という歳月を費やし、命を懸けて偉業を成し遂げて帰国した常長でしたが、祖国は禁教令が布かれ、鎖国へと向かう時世。
失意のまま、2年後他界し、歴史から消え去るのです。
政宗も常長も、沈黙を通しました。
支倉家の後を継いだ長男は、政宗亡き後、キリシタンの咎で使用人たちと処刑されています。
(常長がヨーロッパから持ち帰った貴重な品々は、仙台市博物館で常設展示されています)

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明治になって、岩倉具視の欧州使節団がベネチアに赴いた時、「あなた方は日本からの2回目の大使です」と言われました。
常長の使節団の記録が残されていたのです。
ヨーロッパでは政宗が献上した品々も残っていて、断片的に常長の足跡を知ることができます。

後日談をもう一つ。
スペインでは、日本という意味のハポン姓を名乗る人たちが600名ほどいるそうです。
常長一行のうち、何名か残った人たちがいて、その子孫だと伝えられています。
今でも生まれてくる赤ん坊には蒙古斑があるとか。
仙台市では、ハポンさんたちを招待したりして、親善を深めています。

おらほの殿様の度量と夢は、でっけがったなあー

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| 北九州紀行 | 08:52 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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